【特集】

【梶原加奈子の想いごと対談】
自然と共に
monshiro
一期一会のジュエリー

島国である日本の四季折々の豊かな自然や、故郷新潟の中で出会う昆虫や草花からインスピレーションを受け、ヴィンテージジュエリーを制作しているmonshiroのデザイナー関谷聡美さんに、モノづくりの思想を語っていただきました。

(左画像)2023SS COLLECTION / (右画像)一点一点手作りをしている様子

身近にあった自然とモノづくり

梶原:まずは関谷さんがジュエリーを作り始めたきっかけやデザイナーとして活躍してきた過程を伺えたらと思います。

関谷さん: 1番最初にジュエリーを作り始めた記憶を辿ると、中学生あたりになります。 私は新潟で生まれ育ちましたが、小さかった頃は田舎だったこともあり、おしゃれをしようにも周りに何もないので、母が使わなくなった昔のジュエリーを解体し、そのパーツを新しく組み合わせて身に付けたり、友達にプレゼントしていました。

梶原:小さな頃からアップサイクルを楽しんでいたことや、自然に囲まれて暮らしていた環境が今のデザインに繋がっているようですね。

関谷さん:10代の頃は好きなものを作っているという感じでした。 ただ、やっぱり何かを作る時のインスピレーションは結局のところ自然でしたね。 私は祖母の家にいることが多かったのですが、裏山をずっと駆けまわって遊んでいて、そこで草花や自然に何か惹かれるものを感じた幼少期の記憶がすごくデザインに影響していることは間違いないと思います。

(左写真)2022FW monshiro イメージ写真 / (右写真)monshiroのデザイナー関谷聡美さん

梶原:もともと手作業で何かを作ることは、小さい頃からお好きだったようですが、ご家族でモノづくりする人が近くにいましたか?

関谷さん:父が建築士で何でも作ってくれました。 私も暇さえあれば何かを作ったり、絵を描いたりしていました。

梶原:立体を作る人が近くにいて、デザインや構造を考えることが自然と身についたのかもしれませんね。中学時代からジュエリーを色々作り、それがどんどん発展して今に至る流れでしょうか? 関谷さん:いえ、実はヘアメイクにも興味があって、高校を卒業した後は、美容師を目指して東京の専門学校に進学しました。 でも、ずっとジュエリーは趣味で作っていました。 勉強の息抜きみたいな感じで作り続けていて。

上京時は色んな大学に通っている学生が住んでいる寮で2年間暮らしましたが、それこそ美大の子もいましたし、服飾専門学校の子もいました。 その繋がりで学校に通いつつもジュエリーを作り続け、友達の服と一緒にショップに売り込むことを経験し、美容師として就職した後もずっとジュエリーに関わってきました。

(左写真)モンシロ蝶(右写真)/ 新潟にあるmonshiro farm

ブランド名とロゴマーク

monshiroという名前に込めた想い

梶原:どんな時も手を動かし、モノづくりが楽しかったのですね。 ところで、「monshiro」のブランド名は印象的ですが、これはモンシロチョウから生まれたのでしょうか?

関谷さん:そうです。モンシロチョウって、ちょっと素朴で一番身近な蝶々じゃないですか?私が作ったジュエリーも、使ってくれる人の身近な存在になれたら嬉しいと思い考えました。 あと、モンシロチョウは環境のバロメーターになる蝶々で、自然のサイクルが崩れると異常発生することがあります。 これからの自然の指標になる存在として、私のブランドコンセプトでもある環境保護への想いもあり「monshiro」にしました。

夫婦であゆむ、株式会社タネルの設立

梶原:2008年にご夫婦で一緒に会社を立ち上げたと伺いました。 株式会社タネルというネームは自然の中の「種」に関係しますか?

関谷さん:今は旧姓の関谷で仕事をしているのですが、現在の名前は「今道」なんです。 ちょっと珍しい字ですけど、アイヌ語で「今」と「道」を訳すとタネルとなります。

梶原:思わぬ表現でした。そうですか!

関谷さん:主人の出身が山形で、アイヌにルーツがあるので会社とお店の名前を考えた時に、「タネル」が一番いいかなとなりました。

梶原:とても素敵な名前とストーリーですね。過去と未来を繋ぐような言葉にも感じます。 会社立ち上げ以降も美容師を続けていたのですか?

関谷さん:就職して1年半ぐらいで、体を壊してしまったので退職しました。 そこで一旦立ちどまり次に何がしたいのか考えたところ、ずっと続けてきたジュエリーを作っていきたいと思いました。

自由が丘の店舗兼アトリエ

梶原:ついに本格的にブランドの立ち上げに向かっていきましたね。 自由が丘で10年程店舗を運営していたと伺っています。 現在も自由が丘と新潟を行き来して運営されているのでしょうか?

関谷さん:主人も美容師だったこともあり、自由が丘の店舗の半分は美容室、半分はアトリエとして活用してきました。 その後、ずっと願っていた自然の近くに移転し今のアトリエ兼オフィスは新潟の自然に囲まれた場所に集約しています。

新潟のアトリエ

ヴィンテージパーツとの出会い

梶原:monshiroの思想がぎゅっと詰まった場所からブランド発信しているのですね。 お客様は海外の方が多いと伺いました。 どのように海外進出が進んでいきましたか?

関谷さん:自由が丘に店舗を作ってから、7年目にやっぱり海外にも挑戦してみたいよねという気持ちが主人も私もあったので、まずはパリの展示会に出展することから始まりました。どうなるか分からないけど、ただ挑戦してみたいという想いでフランスの展示会に出展しました。

(左写真)2025 Fall Winter Premiere Classe in Paris / (右写真)パリ展示会ブース

梶原:ヴィンテージパーツを使用したジュエリー製作に向けて、世界との繋がりが影響しましたか?

関谷さん: 私も主人も、古いものがずっと好きだったので、主人は美容師をやりながら家具修繕をしていて、ヨーロッパから家具などを買い付けていました。 私はヴィンテージパーツの仕入れ先と繋がっていなかったので、以前は本物の植物に特殊加工を施したパーツを使っていました。 でもやっぱりヴィンテージに興味があって、展示会や海外での活動を通して知り合う人達からの情報から、やっとヴィンテージパーツを買い付けられる倉庫に繋がりました。 現在のmonshiroの使用するパーツはヴィンテージストックとして人の手に渡らずに眠っていた、時代を超えて未使用のまま残っている貴重なものを選んで使っています。

(左写真)過去に制作した植物に特殊加工を施したアクセサリー / (右写真)海外から仕入れたヴィンテージパーツ

梶原:イメージしたジュエリーがやっとできるようになったのですね。 monshiroのブランディングから運営まで、関谷さんがずっと一人でやってきたのでしょうか?

関谷さん:私はデザインと制作を担当し、主人が経営面やジュエリーのイメージビジュアル撮影を担当しています。

梶原:ヴィジュアル写真の世界観がとても綺麗だな..と思っていたのですが、ご主人が撮られているとは ! 関谷さんのデザインの空気感を創作していますね。

関谷さん:そうですね。 一緒にmonshiroの世界を創り上げています。 営業も分担しています。 国内は私が担当で、主人が海外を担当しています。 パリの他にNYの展示会にも参加して広がり、今ではジュエリー販売の8割が海外になります。

自然と共存しているジュエリーの写真を毎シーズン撮影

循環する自然から生まれるモチーフ

梶原:世界で活躍するmonshiroの成長過程を伺いましたが、次は商品の特徴やこだわりポイントを教えていただきたいです。

関谷さん:自然の移り変わりから捉える感覚を表現したいと思っています。 例えば梅雨の時期でしたら雫の感じなど、自然のテクスチャーも大切にしています。 その瞬間に感じる一期一会のインスピレーションをコレクションに落とし込んでいます。

梶原:よく使う自然の中のモチーフはありますか?

関谷さん:鳥とか蜂とか昆虫はよく使っていますね。 昆虫について深く意識するようになったのは、大人になって新潟に戻ってからです。 花が咲いたあと、昆虫が受粉を媒介しなければ実がつかないことを知り、昆虫の存在が自然の循環に欠かせないことを実感しました。 また、自然界では、ひとつの生態系が崩れると、それに関わる生き物も連鎖的に失われてしまいます。 そうしたことを通して、大人になってからの方が、虫たちの存在の大きさや意味を強く感じるようになりました。

梶原:様々なことを経験した上で改めて自然を見つめることで、循環する存在について関心が高まったのですね。 いつも素敵なデザインで昆虫との共存を表現していると思います。

使い続けた後の在り方まで配慮する

梶原:その他にもこだわっていることがありますか?

関谷さん:デザインとして美しいことは大前提だと思いますが、着け心地が良く長く使い続けられるようなものを作りたいと思っています。 monshiroのジュエリーは、接着剤や溶接という方法を使わずに全てワイヤーで仕上げています。 細いワイヤーのみで組み上げられているので、ペンチ1つあれば全部解体ができます。 簡単に直せるし、今後使わなくなったとしても、何か他のものに作り変えることができる。 本当にいらなくなってしまったら、解体して分別して廃棄することができるように作っています。

梶原:ジュエリーの再構築や最後の配慮まで考えていることを、monshiroを購入した全てのお客様に伝えていきたいですね。

関谷さん:年に4回から5回、東京の毎年決まった場所でPOP UPを開催しています。 そこで直接お客様とお話する機会を大切にしています。 コンセプトを直接伝えることも出来ますが、構造や使い勝手など実際に身に付けるお客様の声を伺うことも次のデザインに繋がります。 人それぞれの感想があって、このような形だったら使いやすいとか色々教えてくださるので、できる限りすぐ対処するようにしています。

世界に伝わる日本の感性

梶原:関谷さんは日本人のモノづくりが世界からどのように求められていると思いますか?

関谷さん:日本人特有の感じ方があり、フランスの展示会ではポエティックだと言われることがあります。 長い文章で説明しなくても、デザインを見て頂くだけで日本人が持つ美意識を商品から感じられるようです。 monshiroのジュエリーは1つ1つ手作業で仕上げているので、気遣いながら細かい作業が必要です。 ヴィンテージパーツは不揃いなものが多く、私が美しいと思えるパーツは同じように形が揃わないのですが、そこは皆さんバランスを配慮してくださり、しっかり仕上げてくださります。 やっぱり日本のクラフトマンシップというか、職人さんのモノづくり魂と繊細さが宿っていると思います。 そこに海外の方々が注目していますね。

自然と共に、未来に残るジュエリーを

2025SS NEW COLLECTION

梶原:関谷さんがモノづくりを続けていく上で、これからも意識していきたいことを伺いたいと思います。

関谷さん:最近、環境の変化がすごくわかりやすく出てきていると感じています。 田舎で暮らしていると虫が今年は少ないな...と危機感を感じることが多くて。 ジュエリーを作り続けていきながらも、monshiroを知ってくれた方たちが、環境問題に向き合っていただけるようなきっかけ作りができたらいいなと思っています。

梶原:日本の中でも昨今の猛暑、台風、地震などで、今の環境について変だな、知りたいなって思う人が増えていますが、欧米に比べるとちょっと社内の中でニュースが少ないように感じます。 だから素敵なモノに触れて、その背景や関谷さんの気持ちを知ることで、環境を考える人が増える可能性もありますね。

関谷さん:今後も皆さんの手元に残したい、近くに置いておきたいと思ってもらえるような美しいものを、自然と共に作り続けていきたいと思っています。

梶原:今回のお話を通して、関谷さんの環境持続への想いとヴィンテージジュエリーへの探究心を知ることができました。 世界を魅了するmonshiroのデザインが、故郷新潟から始まり、今もこの土地の自然に愛着を持ちながらアトリエを構えて発信し本質を深めていることに感銘します。

関谷さんの記憶を大事にする姿勢、ヴィンテージパーツに惹かれる想い、朽ちても咲いても、その一瞬を美しいと捉える感性が繋がりました。 自然を受け入れながら存在してきた日本人の暮らしを受け継ぐ心がその中に宿っていると思います。 過去と未来を繋いでいくmonshiroのジュエリーが、これからどのような融合を繰り返し、何を世界に伝えていくのか、追い続けていきたいと思います。

今回は様々なお話しを聞かせて頂き、ありがとうございました。

梶原加奈子

Date: 2025.08.01

CRAHUGのクリエイティブディレクター。大好きなテキスタイルに関われる日々に感謝。北海道の自然がクリエーションの源。

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